称賛できるのはどんなとき?

 はてなダイアリーに広告が出てくる条件は三か月以上の放置だと思っていたら、なんとすでに広告が表示されている。知らないうちに仕様が変わったのだろうか……。

 とりあえず予告していたMukkeさんネタの第一弾(IDコール id:Mukke)。ただし続けるのが面倒くさくなった場合や、予想以上に悪評が集まって私が拗ねた場合などは早々にシリーズ打ち切りとなるだろう。

 念のため断っておくと、私は決してMukkeさん個人に含むところがあるわけではない。Mukkeさんと同じような言行をしている人々全員に対して含むところがある。Mukkeさんの名前はたまたま代表格として挙げているものと受け取ってほしい。

事例1:レイプ犯焼き殺し事件(仮)

 まずは私がたまたまブックマークしていた古い記事から。2005年のスペインで、娘をレイプされた母親がレイプ犯にガソリンをかけて焼き殺すという事件が起こった(らしい)。それに関するMukkeさんのコメントが以下。

Mukke [2ch] [Europe] [性] [犯罪] [これはすごい] [GJ] 理屈では許しちゃいけないんだろうが,心の中で喝采を叫んでる俺がいる。/復讐は何も生まないかもしれない。誰も救われてなんかいない。でも,復讐するひとは,何かを生み出したり誰かを救うためにやるんじゃない。 2009/02/27

はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):娘を強姦した男に母親が復讐。ガソリンをかけて焼き殺す

 こういった母親への称賛が、ブックマークコメントの中でも一定の割合を占めていた。しかし私はMukkeさんのものを含め、母親の行為に快哉を叫ぶ声にはまるで共感できない。それどころか嫌悪すら感じる。自分と無関係な復讐劇をエンターテインメントとして楽しんでいるようにしか思えないからだ*1

 母親の行為を称えている人々のうち、「復讐を手伝って下さい。具体的にはガソリンの調達とか」と頼まれて協力に応じる人がどれほどいるだろう。ほぼ全員がなんやかんやと口実を設けて協力を拒むのではないだろうか。それも、申し訳なさではなく「なぜ自分を巻き込もうとするのか」という怒りを覚えながら。少なくとも、「かような壮挙に力添えできるとは光栄の極み」と喜んで手を貸す人は絶対にいないと確信できる。

 この件についてはまだ述べたいことがあるのだけど、長くなるので省略。

事例2:在特会デモ立ちふさがり事件(仮)

 続いて昨年の事件。2010年12月4日、在特会のデモに対して妨害に出た人がいた。妨害といっても、デモ行進の前に一人で立ちふさがるというささやかなものだけれど。デモを妨害した「黒い彗星」という人は在特会から暴行を受け、さらに警察に不当に勾留されるという悲惨な結果になった。この事件についてのMukkeさんのコメントは複数あるが、とりあえず以下のものを引用する。

Mukke [珍虱連] [民主主義] [racism] [社会] [左右] ドレスデンの例を挙げられると悩むけれど,それでも俺は,自力救済が認められるべきでないと考える。まずわれわれが求めるべきはデモが暴走した時に警察が速やかにそれを鎮圧することだ。 2010/12/08

はてなブックマーク - ペットボトルを置いて - 過ぎ去ろうとしない過去

 このように、黒い彗星さんの行為に対しては否定的な見解を述べていた。悪人にガソリンをかけて焼き殺す行為はウキウキと称賛していたMukkeさんが、このケースでは打って変わって冷厳なまでの「良識派」となっている。結果の取り返しのつかなさから見れば、こちらのケースのほうが遥かに支持しやすいと思うのだけれど、Mukkeさんにとっては逆であるらしい。

事例1と事例2の「差分」

 二つの事例に関し、Mukkeさんと同様の「温度差」を見せている人はそれなりに多くいるような気がする。その温度差を生み出すものはいったい何なのだろうか。

 それはまず、エンターテインメント性の多寡であると推測する。娘の復讐のためにレイプ犯を焼き殺す母親。まるで映画の題材になってもおかしくはないドラマチックな事件だ。だからこそ事例1は大いに支持されるのだろう。逆に事例2は面白くない。被差別者が差別者に異議申し立てをしようとして殴られ、逆に加害者として公権力に弾圧されるなんて、あまりに陰鬱で盛り上がりに欠ける。この面白みのなさが冷淡な目で見られてしまう大きな要因だろう。

 次に、事件との距離感だ。事例1はスペインという遠くの国で起こった。日常生活とはほとんど関わりのない世界の出来事なので、対岸の火事を眺めるかのような気楽さで、娯楽として消費することができる。一方で事例2は同じ日本国内で起こった身近な出来事だ。そのため嫌な生々しさを感じてしまうということもあるかもしれない。

 それと関連して、事例2を認められないもっと深刻な理由もあるだろう。仮に黒い彗星さんの行為を正当だと認める立場に立つなら、自分たちが目を背け続けている日本社会の欺瞞に正面から向き合うことを避けられないはずだ。それはとても難しいし苦しい。やりたくない。なので認めることはできない。誤った行為として切り捨てなければならない……。セーフティな位置にいるマジョリティの身勝手さか、それとも罪悪感の裏返しによるものか、いずれにせよそういった心理があるのではないかと思う。

 もちろん要因はほかにもあるだろう。しかし、とりあえず考えついたものは以上だ。せっかくなので当人らに答え合わせを求めてもいいが、ほぼ全員に否定されて私が悲しい思いをしそうなのでやらない。しかし自主的に答えてくれる人がいるなら歓迎する。

疑問

 ところで、悪趣味な疑問ではあるが、仮に事例2における動機が「復讐」であった場合、Mukkeさんらの反応はどう変わっていただろう。たとえば、在特会ヘイトスピーチを浴びせられ自殺した妹の復讐としてあのデモの前に立ちふさがった……というドラマチックな動機が述懐されていたなら、復讐GJの声はあがっていただろうか。

 なんとなくだけど、それはないような気がする。「復讐としては的外れでしょぼい」「どうせならガソリンかけて燃やせ」「もっと娯楽性の高い復讐をしろ」「在日ごときが日本人に逆らうのは不遜」などと心ないことは言わないにしても、「よくやった」と称賛する姿も想像しにくい。

 非常に気になるので、これも自主的に答えてくださる方がいるなら歓迎する。

事例3:ヘイトスピーチ塗りつぶし事件(仮)

 ここで話を変えて、今年8月に起こった最近の事件を取り上げる。

http://lunaticprophet.org/archives/5345
http://lunaticprophet.org/archives/5354

 リンク先を読めばわかるように、有村悠さんという人がヘイトスピーチを書き込んだポスターを発見し、後日その文章部分をマジックで塗りつぶしたという流れだ。有村さんの行動には私も全面的な敬意を表する。もし私が資産家だったら10万ペリカくらいはカンパしていただろう。

 なぜこの話が出てくるかというと、これら二つのエントリがアップされたのはちょうど今回の記事を書き始めた時期であったからだ。Mukkeさんは有村さんの行動に対しどのような反応を見せるだろう? そのような好奇心にかられ、私は当該エントリのはてなブックマークを密かに観察していた。

 私の予想するMukkeさんの反応は、「立派ではあるが、法を無視する行為を認めてはいけないと思う。ポスターの表現も侵害するべきではない。先走らず駅員か警察に任せるべきだった」と苦悩の面持ちで述べるというものだった。Mukkeさんが事例2を覚えていて、かつ整合性を貫こうとするなら、それが自然だと思ったからだ。

 あるいは、有村さんへの称賛が多勢を占める中で否定的なコメントを発するのは気まずいと考え、この事件への言及をしないという選択もあるかも……などと勝手に心配していたが、数日後に無事(?)Mukkeさんのブックマークコメントがついた。

Mukke [racism] [これはすごい] [GJ] ありむー超偉い。そへぶ! 2011/08/10

はてなブックマーク - lunaticprophet.org - このウェブサイトは販売用です! - リソースおよび情報

 私の予想は見事に外れた。どうやらこの場合はGJと言えるらしい。果たして事例2との整合性は考慮されているのだろうか。ある意味、予想を裏切られたのは予想どおりではあるけれど。

 Mukkeさんに限らず、今回の件で素朴な称賛が集まった要因としては、有村さんが日本人であることが大きいのではないかと思う。これが在日外国人によるものだったら、後ろめたさと申し訳なさと罪悪感で心がきしむ。しかし日本人が自らの手で過ちを正したのであれば、逆に誇らしく喜ばしい気持ちになれる。そのため事例2で冷淡な態度を見せていた人でも有村さんを称賛するのだろう。私は勝手にそう納得している。

 いつもながら心の汚れた想像ではあるけど、もしポスターの問題箇所を黒く塗りつぶしたのが有村さんではなく、たとえば在日三世と名乗っているブロガーの人であったら、かなり空気は違っていたような気がする。素直に称賛する人の割合は少なかっただろうし、逆に「器物損壊」「表現の自由の侵害」「自力救済は認められない」などといった否定的なコメントは数倍になっていたのではないだろうか。いわゆる炎上も起こしていたかもしれない。

 まあだからどうというつもりはなく、特にオチもなく終わる。

*1:もちろん当人らはこの勘繰りを否定するに違いない。間違っているなら当然そうなるし、的中していても恥ずかしいから否定するはずだ。ルビンスキーばりに「自分に関してはそのとおり」とうそぶく人はほとんどいないだろう。